北 海 の 氷 野
あの海を、もう一度見たいと思っていた。
ノ―スウエスト航空の、ロスアンゼルス―東京間の航路にある、あの氷の海。
幸いに今度の座席も進行方向に向かって左の列、何時もの様に主人に窓際の席を譲ってもらった。
さて、と座席の個人テレビの、現在位置を示すチャンネルを開けたが、故障している。後部座席に待機しているエァアテンデントを呼ぼうかと思ったが、出発直後の忙しさが終わったばかりで一息着いているらしく、呼ぶのも気が引けて、時々窓を開けて、目的の海を自分で見つけることにした。
ロスアンゼルスから陸伝いに北上、カナダを経てアラスカの海岸線を通り、千島列島から日本に入るコ-ス。今日も晴天だ。
ロスアンゼルスを飛び立ち、サンフランシスコを過ぎて間もなく、だんだんと濃くなった眼下の雪景色が、アンカレッジ付近では遂に一面真っ白になった。見渡す限り深い雪に覆われたアラスカの山々。道もなく、川も見えず、湖も覆い尽くされて、見えるのは唯永劫の雪を頂いた山のみ。白色の清純、静寂の美、人跡未踏と言うよりも、足跡を許されるのは神のみ、と言った敬虔な気持ちになる。出発して既に数時間、大方の乗客が寝ている機内の静けさに、雪の連峰の上空を、大型旅客機が音を殺し、巨大な太古の鳥のようになって、しんしんと移動している光景を想像する。
ふと、若し此の飛行機が此処で不時着したら?と、いつものあの思いが頭をかすめる。
旅行社のパンフレット、航空会社の広告等で見るのは、常に快適な機内サ-ビスであり豪華な食事であるが、飛行機が飛び立って一番先に乗客が知らされるのは、万一の場合にどうやって機内から脱出し、どうやって命を保つかということである。勿論、絶対安全を信じてでなければ機上の人となることは出来ないが、それでも一抹の不安は消しがたく、年に何度も太平洋を西へ東へと飛んでいる私は、何時の間にか、窓外の景色を見下ろしながら、通りすぎる場所をそんな目で見る癖が着いてしまったのだ。
此処なら、此の山の中なら、「神の懐……」という気持ちがするかな?と思う。
いよいよ待望の氷原が見えて来た。何度見ても凄い!凍ったベ-リング海!それともアリュ-シャン列島?そんな地理などどうでもいい。海が凍って見渡す限りの氷、氷野だ!これは、ぽかぽかと浮いて流れている氷山なんてものではない。大海原変じての大氷野である。あらかじめ海岸線の色を覚えておいたので、今眼下に見えるのは海だと確信できるが、まるで北極からずっと地続きのように見える。一万メ-トルの高度からの俯瞰で、機窓一杯に迫る白、白い色以外には何も見えない。さっきまでの山々の様子とは全く違って、唯唯白く、無限に広く、息の詰まるような迫力!この高度からでは一望無尽のフラットな大平原にしか見えないが、ここらには多分胸突く氷山もあろう。此の大氷原の上で生き、生活をしている大小の動物を思う。完全な無音の中で黙々と歩き、夏の夜には、大空一杯を舞うオ-ロラを見上げているであろう孤独な北国の動物達、彼等はオ-ロラに何を思うのであろうか。
機外は日が燦々と輝く日中だが、到着地東京の現在時間は夜中、それに合わせるのか、機内は窓のシャッタ-を下ろして暗くしてある。私の所だけ窓を開けていて「明かりが入る」とシチュワデスが注意に来たが、窓を閉める気にはなれず、シャッタ-を少しだけ引き下げた。氷原の岸から、今眼下に見えている場所まで何キロ、いや何十キロあるのか?こんなに厚い氷の層では砕氷船も此処までは来れまい、それを足の不自由な身が、居ながらにして、肉眼で見下ろしているのだ。科学の偉大さ、だがそれにも増して此の美しさ。目が吸いつけらて離れない。
眼下の景色は白一色だと思ったのが、暫く行くと所々に薄い灰色がかった場所も見える。氷の下の海の色だ。多分そこは氷の層が少しばかり薄いのかと思う。灰色が紺になって、湖のように見える場所もある。これはもっと浅い氷の層だろう。凍った氷の厚さで氷野の上に描かれている地図。刻々と変わる氷の海、息もつかずに見ていると、所々に氷の割れ目が見え出した。氷は直線に、直角に割れている。細く長い割れ目から垣間見える濃紺の海、あくまでも深く、暗く、地獄のように冷たそう。事故でも、此処では絶対に堕ちて貰いたくない。こんな大氷原をどうやって救助隊がたどり着けるであろう。同じ事故死でも、あんな凄い海の溝では、どんなにか冷たいことか。冷たいのは嫌だ。と、またもあらぬ事を空想して震え上がってしまう。此処は無事に通過して欲しい。
日付変更線を過ぎたかと思われる頃から、氷の割れ目がだんだん大きく多くなってきた。氷野は、大きな不等辺四角形に分けられ、徐々に面積を減らしている。暖かい黒潮のある日本が近づいたのか。
行くうちに、濃紺の溝は少しずつ海の様子を取り戻し、流れているように見えてきた。氷野はもう無く、海上一面、四角の細かい氷の群れ。細かいといっても、此の高度から見ての話で、実は大きな氷山が無数に浮いて流れているのであろう。航路がずっと南になったようだ。
そういえばもう三月。初春である。氷の海にも春は近い。
氷野を後にし、ほっと息をつく。
目の奥に先ほどの興奮をしまい込んで、私も暫く寝た。
氷原の 割れ目に春の 兆しかな
1999.4.15.
ノ―スウエスト航空の、ロスアンゼルス―東京間の航路にある、あの氷の海。
幸いに今度の座席も進行方向に向かって左の列、何時もの様に主人に窓際の席を譲ってもらった。
さて、と座席の個人テレビの、現在位置を示すチャンネルを開けたが、故障している。後部座席に待機しているエァアテンデントを呼ぼうかと思ったが、出発直後の忙しさが終わったばかりで一息着いているらしく、呼ぶのも気が引けて、時々窓を開けて、目的の海を自分で見つけることにした。
ロスアンゼルスから陸伝いに北上、カナダを経てアラスカの海岸線を通り、千島列島から日本に入るコ-ス。今日も晴天だ。
ロスアンゼルスを飛び立ち、サンフランシスコを過ぎて間もなく、だんだんと濃くなった眼下の雪景色が、アンカレッジ付近では遂に一面真っ白になった。見渡す限り深い雪に覆われたアラスカの山々。道もなく、川も見えず、湖も覆い尽くされて、見えるのは唯永劫の雪を頂いた山のみ。白色の清純、静寂の美、人跡未踏と言うよりも、足跡を許されるのは神のみ、と言った敬虔な気持ちになる。出発して既に数時間、大方の乗客が寝ている機内の静けさに、雪の連峰の上空を、大型旅客機が音を殺し、巨大な太古の鳥のようになって、しんしんと移動している光景を想像する。
ふと、若し此の飛行機が此処で不時着したら?と、いつものあの思いが頭をかすめる。
旅行社のパンフレット、航空会社の広告等で見るのは、常に快適な機内サ-ビスであり豪華な食事であるが、飛行機が飛び立って一番先に乗客が知らされるのは、万一の場合にどうやって機内から脱出し、どうやって命を保つかということである。勿論、絶対安全を信じてでなければ機上の人となることは出来ないが、それでも一抹の不安は消しがたく、年に何度も太平洋を西へ東へと飛んでいる私は、何時の間にか、窓外の景色を見下ろしながら、通りすぎる場所をそんな目で見る癖が着いてしまったのだ。
此処なら、此の山の中なら、「神の懐……」という気持ちがするかな?と思う。
いよいよ待望の氷原が見えて来た。何度見ても凄い!凍ったベ-リング海!それともアリュ-シャン列島?そんな地理などどうでもいい。海が凍って見渡す限りの氷、氷野だ!これは、ぽかぽかと浮いて流れている氷山なんてものではない。大海原変じての大氷野である。あらかじめ海岸線の色を覚えておいたので、今眼下に見えるのは海だと確信できるが、まるで北極からずっと地続きのように見える。一万メ-トルの高度からの俯瞰で、機窓一杯に迫る白、白い色以外には何も見えない。さっきまでの山々の様子とは全く違って、唯唯白く、無限に広く、息の詰まるような迫力!この高度からでは一望無尽のフラットな大平原にしか見えないが、ここらには多分胸突く氷山もあろう。此の大氷原の上で生き、生活をしている大小の動物を思う。完全な無音の中で黙々と歩き、夏の夜には、大空一杯を舞うオ-ロラを見上げているであろう孤独な北国の動物達、彼等はオ-ロラに何を思うのであろうか。
機外は日が燦々と輝く日中だが、到着地東京の現在時間は夜中、それに合わせるのか、機内は窓のシャッタ-を下ろして暗くしてある。私の所だけ窓を開けていて「明かりが入る」とシチュワデスが注意に来たが、窓を閉める気にはなれず、シャッタ-を少しだけ引き下げた。氷原の岸から、今眼下に見えている場所まで何キロ、いや何十キロあるのか?こんなに厚い氷の層では砕氷船も此処までは来れまい、それを足の不自由な身が、居ながらにして、肉眼で見下ろしているのだ。科学の偉大さ、だがそれにも増して此の美しさ。目が吸いつけらて離れない。
眼下の景色は白一色だと思ったのが、暫く行くと所々に薄い灰色がかった場所も見える。氷の下の海の色だ。多分そこは氷の層が少しばかり薄いのかと思う。灰色が紺になって、湖のように見える場所もある。これはもっと浅い氷の層だろう。凍った氷の厚さで氷野の上に描かれている地図。刻々と変わる氷の海、息もつかずに見ていると、所々に氷の割れ目が見え出した。氷は直線に、直角に割れている。細く長い割れ目から垣間見える濃紺の海、あくまでも深く、暗く、地獄のように冷たそう。事故でも、此処では絶対に堕ちて貰いたくない。こんな大氷原をどうやって救助隊がたどり着けるであろう。同じ事故死でも、あんな凄い海の溝では、どんなにか冷たいことか。冷たいのは嫌だ。と、またもあらぬ事を空想して震え上がってしまう。此処は無事に通過して欲しい。
日付変更線を過ぎたかと思われる頃から、氷の割れ目がだんだん大きく多くなってきた。氷野は、大きな不等辺四角形に分けられ、徐々に面積を減らしている。暖かい黒潮のある日本が近づいたのか。
行くうちに、濃紺の溝は少しずつ海の様子を取り戻し、流れているように見えてきた。氷野はもう無く、海上一面、四角の細かい氷の群れ。細かいといっても、此の高度から見ての話で、実は大きな氷山が無数に浮いて流れているのであろう。航路がずっと南になったようだ。
そういえばもう三月。初春である。氷の海にも春は近い。
氷野を後にし、ほっと息をつく。
目の奥に先ほどの興奮をしまい込んで、私も暫く寝た。
氷原の 割れ目に春の 兆しかな
1999.4.15.

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