大停電
八月十四日午後四時十一分。私は嫁とスーパーマーケットのレジの前に並んでいました。
正確に言えば、アメリカ、ミシガン州デトロイト近郊の住宅区、西ブルームフィルドの商店街。
あと一人で私の番なので、財布を出して待っていると、突然、音も無く電灯が消えました。台湾ならまだしも、アメリカでの停電は意外。「こんな大きな店でもヒューズが飛ぶ事も有るのね」と、電気の付くのを待ちながら、後ろに並んでいた若いお母さんの抱っこしていた赤ちゃんと遊んでいましたが、暫くしても回復しない電気に、「アメリカの工事屋さんは、立派な車で遠い所から来るのだから、却って遅くて不便ね」等貶して居る中に、買物を諦めて帰る人も出てきました。でも旅行中の私は「この次に」というわけには行きません。市民の生活を大切にするアメリカの事、すぐ直る。とたかをくくって更に待つことしばし。とうとう諦めて「一つだけだから、支払いさせて」と頼むのに、レジが止まって精算できないと腕を拱いている会計。「一体アメリカ人って言うのは、筆算も出来ないの?こんな馬鹿店員、いいからよそで買いますよ」と憤然と店を出ました。
見ると、どの店からも人が出て来ていて、なんと、ここ等辺一体の停電らしいと判明。クーラーの止った店内の暑さに、店の前で腕を拱いている店員達。停車場もがら空きになっていました。道路では既に警察か、軍隊らしいのが、止ったトラフイックライトに代わって交通整理。車の中のラジオで、どうも、もっとすごい広範囲の停電らしいと察して、家に知らせようとしたら、ケイタイも応答無し。これは近くの電波発射台も動けないのに違いない。と、この時になって、心配し始めた私達。道に溢れる車の列を避けて回り道し、急いで帰りました。
家では長男が、パソコンがスゥーと消えたり付いたりを繰り返したので、故障を防いで消し、主人と孫は、突然切れたテレビに、手持ち無沙汰で電気の来るのを待っていて、誰もがこれがあの大停電の始まりとは思ってもいませんでした。
飛びこんできた私達の知らせで事態の大変さを知ったものの、電気がないと言う事は、何一つ出来ないと言う事なのです。殊にアメリカでは。
テレビなし、パソコンなし、電話も此方は電線を利用しているので電話もなし。何処からも消息が得られず、僅かに車の中のラジオでの消息も、声が途切れ途切れ。辛うじて通じた孫娘のケイタイで電力関係の人から得た消息では、カナダも入れた北米一帯の大停電で、原因不明。修復のめどはついておらず、長期に亙るとの事。電気がないので飛行場も閉鎖、すべての離着陸予定の航空機は近くの飛行場を利用するようにと指示されています。主人は数日後の国際会議に行けなくなるかもと心配し始めました。「大丈夫よ」と答えながら、実は私も、どうしてこんな事がアメリカに、という思いでした。
ラジオからは「これはテロではない」との、ブッシュ大統領の宣言。二年前の九月十一日のあの大惨事から、もうすぐ二周年目を迎え様としているこの頃の、飛行場での安全検査の厳しさ、ニュースによるイラクでの惨状、などから、誰でもすぐ思いつくのはテロ?という事です。政府としてはいち早くテロ否定の宣言を出すべきなのでしょう。それを信じる事にして,ただの故障だとしたら、世界に冠たる超現代科学国家のアメリカさんも、こんなへまをする時も有ると言う事。子供等がここに住んでいるとは言え、所詮私はよその国の人間。野次馬までは行かなくても、こんなへま、一寸皮肉っても見たくなります。
ミシガン州は、普通この時期はとても涼しいのですが、その日は、例年にない暑さ、近年来の最高気温でした。エヤコンが止った室内は台湾並み。日頃湿りっけが強くて敬遠している地下室の、ひんやりした冷たさが、今日は却って一番快適な場所です。長男の勧めで「まるで防空壕に避難するみたいね」と其処に降りました。地下室と言っても、この家は土地の斜面に建っているので、一階の玄関からでは地下室でも、裏では地階、庭に面した壁一面のガラス戸からの光線が結構明るく役だっています。台所では、まだ日のある中にと、嫁が夕食の仕度を急いでいる様子。幸いな事に、ここでは最近煮炊き用の火をガスにして居たのでした。
長男と、地下室のドァから、裏庭に出てみました。刈ったばかりの芝から上る青草の香り。二本のりんごの大木からは、多く成りすぎて枝に付かないりんごが、青く小さいまま一面に落ち転がっています。傍らが少し欠けているのは、栗鼠が試食して捨てて行ったのでしょう。栗鼠も食べない不味いりんごに、傾きかけた晩夏の夕陽が優し く当っていました。庭の中ほどの一叢の潅木には、満開の橙色の小花、こちらの花に潜り込んでは又次の花にと、蜜を求めて蜂が盛んに飛びまわっています。飼い犬のロッコが私達を見つけて駆け出てきたので、さっきから叢に蹲って私達の様子をうかがっていた野兔が、急ぐ様子も無くゆっくりと彼方に移っていきました。潅木の茂みの隙間は、毎朝りんごを食べに来ている、子連れ野鹿の通り道、時には川縁に、蛙を目当てのコウノトリが立つこともある奥の小さな流れ。車の騒音も、遠くから聞えていた工事の音も、飛行機の爆音も、皆消えている空に、塒に帰る小鳥の声が楽しそうです。静かな平穏無事な裏庭。停電騒ぎはここにはありません。電気なんて、彼らには関係のないこと、突然襲った大きな不便、不安に気もそぞろの人間達をよそに、自由に空を飛び、野に遊び、何時もの生活の営みを続けている自然界の生き物達。万物の長と威張っている人類より、実は彼等の方がずっと強いのかも?と考えさせられました。
突如静寂を破って救急車のサイレン。救急車だけは、動くのです。唯一使えるバッテリー式のラジオから、ガソリンスタンドが動けなくて大勢の人が車を使えなくなっている。との報道。頭をよぎるのは、止った電車に閉じ込められている民衆の姿。真っ暗な地下道。つい最近見た、デトロイトの貧民街の悲惨な生活、あの中に住む、職を失っている黒人達のこと。彼等がこの停電の不便さに乗じて、何時暴動を起こしても不思議ではありません。
「ラジオはバッテリーを節約してニュース以外は開けない様に」「車に残っているガソリンも非常用に残して、なるべく車を出さないこと」「冷蔵庫もなるだけ開け閉めしない」等などを家族に指示していた長男が、ゴム管に向かって、ふうふう吹き出しました。見ると、熱帯魚の水槽に息を吹き込んでいます。これぞまさに「人工呼吸」。停電で空気を貰えなくなった魚達の動きが、既にのろのろとしていました。
暗くなったダイニングルームよりはと、今夜は蝋燭を付けてベランダでキャンドルディナー。何時もより皿数が多いのは、氷の溶けかけた冷蔵庫内の、ストック食品の処理でした。解け始めて、食べ頃に柔らかくなったアイスクリーム。ふにゃふにゃのケーキ、ダイエット計画は休んで、今夜は皆のお腹が冷蔵庫代りでした。
何時まで続くか知れない停電。それならそれを逆手にとって楽しもう。と、食後はキャンドルパーティ。事毎にすぐキャンドルでムードを出したがる西洋の生活に、何は無くとも蝋燭だけは事欠きません。丸いの、四角いの、長いの、細いの、水に浮かべたのまでも集めたら、結構好いムードになりました。明かりを求めて自然に集った家族達。何度聞かせられたか知れない年寄りの昔話も種が尽きると、孫がバヨリンを持ち出しました。最近練習したと言うアイリッシュの歌。ピアノ伴奏は孫娘、長男もギターで合わせます。つい何年か前までは、キィキィと鳥肌の立つような音だった孫のバヨリンは、今では高校のオーケストラのファーストバヨニストに成っているというだけあって、音痴の私が結構楽しくなる演奏ぶりでした。まだ時間は宵の口、何時もなら友達を尋ねて、とっくに飛び出ている孫達、食後はパソコンの前に固定されている長男、大リーグに目が離せなくてテレビに吸い付いている主人、停電でなかったら、こうして家族全員が一室に集って一夜を語り合い、歌い興じることが有るでしょうか。何やら知れず、はしゃいで、誰彼にと無く甘えかけている飼い犬のロッコ、台湾土産に持ってきたという竹団扇をゆっくりと扇ぎ、私はソファに長々と寝そべって、この幸せな時間を感謝していました。
天井から下がっている電灯の、電気の付いていない真っ白な電球、これ一つだけで何十ワットなのを、電気のあった時には特に明るいとも感じなかったのに、今卓上にある六個のキャンドル、ワットにして僅かに六ワットがこんなにも明るく感じられる、人間の感覚の面白さね。と孫達に言いましたが、私の気持ちをどれだけ理解できたか、下手な英語交じりの台湾語と、下手な台湾語を無理に使っている英語族の孫達。血の繋がりは争えなく、結構親しんでくれている孫達では有るけれど、普通の会話から一寸踏み込んだ事を話すには、いつももどかしさが先立ちます。
蝋燭では危ないからと渡された懐中電灯で寝室に入ると、床の上にくっきりと窓の形をした意外な明り。中空に掛かった月からのプレゼントでした。ブラインドを高く巻き上げ、思いっきり多くの月明かりを取り入れる私。黄いろく、青く輝く光、空を見上げれば、辺りを明るく照らして、吃驚するほど近く大きな月。思いがけない月明かりに驚いて詩を読んだ古人、月を相手に酔って踊った昔の人、月の下のシエックスピァの妖精達。詩も歌も出ない私は、幼い頃、十五夜に母と月を愛でた事などを思い出していました。気が着けば、外では虫達の大合唱。リンリンと、美しい音色は鈴虫なのでしようか、クーラーで閉ざされいた部屋の外で、毎夜繰り返されていた自然の美。停電がくれた、北国の晩夏の夜のロマンでした。
ロマンチックな想いに酔っているのは、責任の無いお婆だけ。長男夫婦は停電との対応に大変です。何度も寝室に顔を出して、私達の様子を気遣ってくれる長男夫婦には、折角台湾の夏を避けて涼みに来たのに、との文句も言えません。朝になれば、どんどん解ける冷蔵庫の食品の始末、お腹に入れる食べ物と、だめになったゴミ箱行きの食べ物をいち早くえり分けて処分、朝食の分はなんとか間に合わし、昼食はとうとう缶詰食品とインスタントヌードルになりました。スーパーも閉っているし、夕食はどうしよう。慈雨のようにタイミング良く降ってくれた昼過ぎの大雨で、今夜の暑さはなんとか我慢できそうだし、明りもキャンドルの在庫は充分だが、食べ物は民生問題、戦時中でも、芋の葉っぱくらいはあったのに、これでは籠城以上です。
あれこれ思案の最中に、突然パッと電気がつきました。「ついたぁーっ」と孫娘の悲鳴のような叫び声。家中が思わず拍手していました。ダイニングに集った家族、明るい明るい電灯の下で「エジソンって、本当に偉い人ねえ」と感嘆する私。すぐテレビがつけられ、エヤコンが策動、でも問題はまだありました。
二十九時間の停電中に、地域の家庭用水の大タンクでも、水を押し上げるポンプが止っていて、大タンクの水が底を着いていたのでした。嫁がせっせと生ぬるくなった冷蔵庫の中を洗っていると「少なくなりすぎたタンクの水の中に、バクテリヤが入っている怖れがあるから、水は嗽水までも5分以上沸騰させてから使用するように」とのラジオ放送。だんだん細くなる水、食用水の確保に又主婦が忙しくなりました。すぐに二階のシャワーも、水洗便所も使えなくなり、残りは地下室のシャワーだけ。それも細々の水で石鹸が流されず、粘々したままの肌の気持ちの悪い事。たった一つだけ使える地下室のトイレも、水槽が一杯になるのに時間が掛かって、だから「小の方は毎回流さないで、蓋をしたら臭くないから」というのは、戦中の我慢生活を経てきたおばあちゃんにだけ通じる話しで、孫達は目をむいていました。困惑の二.三日。やっと水が正常に戻って、水洗からサ―ッと水の流れる大きな音が聞えた時の嬉しさ、あの聞きなれた音は、どの音楽よりも心の癒される音でした。物は無くなってこそ有り難さが解る。「何時までもあると思うな親と金」の諺に「電気」も付け足さねばなりません。
数日後、「この度、我々はアメリカに十憶ドルもの損害を与えたが、自分等が使ったのはたったの七千ドルだった」という、アルカイダ組織からの犯行声明がありました。遅すぎる犯行声明と、ブッシュの早過ぎるテロ否定声明と、どっちの信憑性を重んじるかは、各自の勝手です。
後日、数日に亙ったこの、6萬1800メガワットの大停電の報道があり、全国で5000萬人、ミシガン州だけでも200万人が被害を蒙ったとありました。又、家に帰れなくて、ホテルに泊まろうにも、安全の保障が出来ないからと拒絶されて、止む無く路上でごろ寝するニューヨーク市民、マンハッタンの長い鉄橋を、遠い我が家目指して黙々と歩く人達、電気が付いたら一番にガソリンを入れられるようにと、夜もガソリンスタンドに置かれっぱなしの車の、長蛇の列、止ってしまったエレベーターの中に、十八時間も閉じ込められた中年婦人、等など、市民の困惑振りが報道されていました。確かにこの大停電は、アメリカに大きな損害を与えましたが、その反面では、今回の停電期間中、カナダ、ニューヨーク、ミシガンなどの広範囲に起こったにもかかわらず、全区域に渡って(ニュヨーク、デトロイトのスラム街にですら)一件の暴動も起こらず、却ってお互いに助け合う美談が幾つも生まれていた。とも言っていました。テレビには、自動発電のある店の前に集った民衆が、持ち前のユーモァを発揮して、楽しそうにギターを弾き、ダンスを始めている光景も有りました。白人、黒人、中東の人、アジヤ人、突然襲い掛かった大災難の前には、種族、貧富、文化の隔たりはなく、皆一団となってこの大災難にめげずに、笑って過そう。そう言ったメッセージが私には受け止められ、それは胸に染みる美しい光景でした。犯罪都市として有名なデトロイト市の黒人市長は、「大停電中、デトロイト市での犯罪記録はゼロであった事を誇らしく思う」と、テレビで言っていましたが、1965年と1977年にもこれに似た大停電があり、当時のニュヨークでは大暴動が起こっていたのでした。
この大停電によって、アメリカの一般民衆の、一旦緩急の場合に対しての態度の良さ、引いては文化水準が高められていた事が、期せずして世に示されたこと、そして更に、これが自分達の日頃の不備、(送電網の老朽?)などが改善がされるきっかけになるのであれば、この停電はアメリカにとって損ばかりでもなかったでしよう。
そして、旅行者にとっても―――。何はともあれ、旅行中の私達まで停電の不便に撒きこまれるのは、二度とご免ですから。 二〇〇三年九月八日
正確に言えば、アメリカ、ミシガン州デトロイト近郊の住宅区、西ブルームフィルドの商店街。
あと一人で私の番なので、財布を出して待っていると、突然、音も無く電灯が消えました。台湾ならまだしも、アメリカでの停電は意外。「こんな大きな店でもヒューズが飛ぶ事も有るのね」と、電気の付くのを待ちながら、後ろに並んでいた若いお母さんの抱っこしていた赤ちゃんと遊んでいましたが、暫くしても回復しない電気に、「アメリカの工事屋さんは、立派な車で遠い所から来るのだから、却って遅くて不便ね」等貶して居る中に、買物を諦めて帰る人も出てきました。でも旅行中の私は「この次に」というわけには行きません。市民の生活を大切にするアメリカの事、すぐ直る。とたかをくくって更に待つことしばし。とうとう諦めて「一つだけだから、支払いさせて」と頼むのに、レジが止まって精算できないと腕を拱いている会計。「一体アメリカ人って言うのは、筆算も出来ないの?こんな馬鹿店員、いいからよそで買いますよ」と憤然と店を出ました。
見ると、どの店からも人が出て来ていて、なんと、ここ等辺一体の停電らしいと判明。クーラーの止った店内の暑さに、店の前で腕を拱いている店員達。停車場もがら空きになっていました。道路では既に警察か、軍隊らしいのが、止ったトラフイックライトに代わって交通整理。車の中のラジオで、どうも、もっとすごい広範囲の停電らしいと察して、家に知らせようとしたら、ケイタイも応答無し。これは近くの電波発射台も動けないのに違いない。と、この時になって、心配し始めた私達。道に溢れる車の列を避けて回り道し、急いで帰りました。
家では長男が、パソコンがスゥーと消えたり付いたりを繰り返したので、故障を防いで消し、主人と孫は、突然切れたテレビに、手持ち無沙汰で電気の来るのを待っていて、誰もがこれがあの大停電の始まりとは思ってもいませんでした。
飛びこんできた私達の知らせで事態の大変さを知ったものの、電気がないと言う事は、何一つ出来ないと言う事なのです。殊にアメリカでは。
テレビなし、パソコンなし、電話も此方は電線を利用しているので電話もなし。何処からも消息が得られず、僅かに車の中のラジオでの消息も、声が途切れ途切れ。辛うじて通じた孫娘のケイタイで電力関係の人から得た消息では、カナダも入れた北米一帯の大停電で、原因不明。修復のめどはついておらず、長期に亙るとの事。電気がないので飛行場も閉鎖、すべての離着陸予定の航空機は近くの飛行場を利用するようにと指示されています。主人は数日後の国際会議に行けなくなるかもと心配し始めました。「大丈夫よ」と答えながら、実は私も、どうしてこんな事がアメリカに、という思いでした。
ラジオからは「これはテロではない」との、ブッシュ大統領の宣言。二年前の九月十一日のあの大惨事から、もうすぐ二周年目を迎え様としているこの頃の、飛行場での安全検査の厳しさ、ニュースによるイラクでの惨状、などから、誰でもすぐ思いつくのはテロ?という事です。政府としてはいち早くテロ否定の宣言を出すべきなのでしょう。それを信じる事にして,ただの故障だとしたら、世界に冠たる超現代科学国家のアメリカさんも、こんなへまをする時も有ると言う事。子供等がここに住んでいるとは言え、所詮私はよその国の人間。野次馬までは行かなくても、こんなへま、一寸皮肉っても見たくなります。
ミシガン州は、普通この時期はとても涼しいのですが、その日は、例年にない暑さ、近年来の最高気温でした。エヤコンが止った室内は台湾並み。日頃湿りっけが強くて敬遠している地下室の、ひんやりした冷たさが、今日は却って一番快適な場所です。長男の勧めで「まるで防空壕に避難するみたいね」と其処に降りました。地下室と言っても、この家は土地の斜面に建っているので、一階の玄関からでは地下室でも、裏では地階、庭に面した壁一面のガラス戸からの光線が結構明るく役だっています。台所では、まだ日のある中にと、嫁が夕食の仕度を急いでいる様子。幸いな事に、ここでは最近煮炊き用の火をガスにして居たのでした。
長男と、地下室のドァから、裏庭に出てみました。刈ったばかりの芝から上る青草の香り。二本のりんごの大木からは、多く成りすぎて枝に付かないりんごが、青く小さいまま一面に落ち転がっています。傍らが少し欠けているのは、栗鼠が試食して捨てて行ったのでしょう。栗鼠も食べない不味いりんごに、傾きかけた晩夏の夕陽が優し く当っていました。庭の中ほどの一叢の潅木には、満開の橙色の小花、こちらの花に潜り込んでは又次の花にと、蜜を求めて蜂が盛んに飛びまわっています。飼い犬のロッコが私達を見つけて駆け出てきたので、さっきから叢に蹲って私達の様子をうかがっていた野兔が、急ぐ様子も無くゆっくりと彼方に移っていきました。潅木の茂みの隙間は、毎朝りんごを食べに来ている、子連れ野鹿の通り道、時には川縁に、蛙を目当てのコウノトリが立つこともある奥の小さな流れ。車の騒音も、遠くから聞えていた工事の音も、飛行機の爆音も、皆消えている空に、塒に帰る小鳥の声が楽しそうです。静かな平穏無事な裏庭。停電騒ぎはここにはありません。電気なんて、彼らには関係のないこと、突然襲った大きな不便、不安に気もそぞろの人間達をよそに、自由に空を飛び、野に遊び、何時もの生活の営みを続けている自然界の生き物達。万物の長と威張っている人類より、実は彼等の方がずっと強いのかも?と考えさせられました。
突如静寂を破って救急車のサイレン。救急車だけは、動くのです。唯一使えるバッテリー式のラジオから、ガソリンスタンドが動けなくて大勢の人が車を使えなくなっている。との報道。頭をよぎるのは、止った電車に閉じ込められている民衆の姿。真っ暗な地下道。つい最近見た、デトロイトの貧民街の悲惨な生活、あの中に住む、職を失っている黒人達のこと。彼等がこの停電の不便さに乗じて、何時暴動を起こしても不思議ではありません。
「ラジオはバッテリーを節約してニュース以外は開けない様に」「車に残っているガソリンも非常用に残して、なるべく車を出さないこと」「冷蔵庫もなるだけ開け閉めしない」等などを家族に指示していた長男が、ゴム管に向かって、ふうふう吹き出しました。見ると、熱帯魚の水槽に息を吹き込んでいます。これぞまさに「人工呼吸」。停電で空気を貰えなくなった魚達の動きが、既にのろのろとしていました。
暗くなったダイニングルームよりはと、今夜は蝋燭を付けてベランダでキャンドルディナー。何時もより皿数が多いのは、氷の溶けかけた冷蔵庫内の、ストック食品の処理でした。解け始めて、食べ頃に柔らかくなったアイスクリーム。ふにゃふにゃのケーキ、ダイエット計画は休んで、今夜は皆のお腹が冷蔵庫代りでした。
何時まで続くか知れない停電。それならそれを逆手にとって楽しもう。と、食後はキャンドルパーティ。事毎にすぐキャンドルでムードを出したがる西洋の生活に、何は無くとも蝋燭だけは事欠きません。丸いの、四角いの、長いの、細いの、水に浮かべたのまでも集めたら、結構好いムードになりました。明かりを求めて自然に集った家族達。何度聞かせられたか知れない年寄りの昔話も種が尽きると、孫がバヨリンを持ち出しました。最近練習したと言うアイリッシュの歌。ピアノ伴奏は孫娘、長男もギターで合わせます。つい何年か前までは、キィキィと鳥肌の立つような音だった孫のバヨリンは、今では高校のオーケストラのファーストバヨニストに成っているというだけあって、音痴の私が結構楽しくなる演奏ぶりでした。まだ時間は宵の口、何時もなら友達を尋ねて、とっくに飛び出ている孫達、食後はパソコンの前に固定されている長男、大リーグに目が離せなくてテレビに吸い付いている主人、停電でなかったら、こうして家族全員が一室に集って一夜を語り合い、歌い興じることが有るでしょうか。何やら知れず、はしゃいで、誰彼にと無く甘えかけている飼い犬のロッコ、台湾土産に持ってきたという竹団扇をゆっくりと扇ぎ、私はソファに長々と寝そべって、この幸せな時間を感謝していました。
天井から下がっている電灯の、電気の付いていない真っ白な電球、これ一つだけで何十ワットなのを、電気のあった時には特に明るいとも感じなかったのに、今卓上にある六個のキャンドル、ワットにして僅かに六ワットがこんなにも明るく感じられる、人間の感覚の面白さね。と孫達に言いましたが、私の気持ちをどれだけ理解できたか、下手な英語交じりの台湾語と、下手な台湾語を無理に使っている英語族の孫達。血の繋がりは争えなく、結構親しんでくれている孫達では有るけれど、普通の会話から一寸踏み込んだ事を話すには、いつももどかしさが先立ちます。
蝋燭では危ないからと渡された懐中電灯で寝室に入ると、床の上にくっきりと窓の形をした意外な明り。中空に掛かった月からのプレゼントでした。ブラインドを高く巻き上げ、思いっきり多くの月明かりを取り入れる私。黄いろく、青く輝く光、空を見上げれば、辺りを明るく照らして、吃驚するほど近く大きな月。思いがけない月明かりに驚いて詩を読んだ古人、月を相手に酔って踊った昔の人、月の下のシエックスピァの妖精達。詩も歌も出ない私は、幼い頃、十五夜に母と月を愛でた事などを思い出していました。気が着けば、外では虫達の大合唱。リンリンと、美しい音色は鈴虫なのでしようか、クーラーで閉ざされいた部屋の外で、毎夜繰り返されていた自然の美。停電がくれた、北国の晩夏の夜のロマンでした。
ロマンチックな想いに酔っているのは、責任の無いお婆だけ。長男夫婦は停電との対応に大変です。何度も寝室に顔を出して、私達の様子を気遣ってくれる長男夫婦には、折角台湾の夏を避けて涼みに来たのに、との文句も言えません。朝になれば、どんどん解ける冷蔵庫の食品の始末、お腹に入れる食べ物と、だめになったゴミ箱行きの食べ物をいち早くえり分けて処分、朝食の分はなんとか間に合わし、昼食はとうとう缶詰食品とインスタントヌードルになりました。スーパーも閉っているし、夕食はどうしよう。慈雨のようにタイミング良く降ってくれた昼過ぎの大雨で、今夜の暑さはなんとか我慢できそうだし、明りもキャンドルの在庫は充分だが、食べ物は民生問題、戦時中でも、芋の葉っぱくらいはあったのに、これでは籠城以上です。
あれこれ思案の最中に、突然パッと電気がつきました。「ついたぁーっ」と孫娘の悲鳴のような叫び声。家中が思わず拍手していました。ダイニングに集った家族、明るい明るい電灯の下で「エジソンって、本当に偉い人ねえ」と感嘆する私。すぐテレビがつけられ、エヤコンが策動、でも問題はまだありました。
二十九時間の停電中に、地域の家庭用水の大タンクでも、水を押し上げるポンプが止っていて、大タンクの水が底を着いていたのでした。嫁がせっせと生ぬるくなった冷蔵庫の中を洗っていると「少なくなりすぎたタンクの水の中に、バクテリヤが入っている怖れがあるから、水は嗽水までも5分以上沸騰させてから使用するように」とのラジオ放送。だんだん細くなる水、食用水の確保に又主婦が忙しくなりました。すぐに二階のシャワーも、水洗便所も使えなくなり、残りは地下室のシャワーだけ。それも細々の水で石鹸が流されず、粘々したままの肌の気持ちの悪い事。たった一つだけ使える地下室のトイレも、水槽が一杯になるのに時間が掛かって、だから「小の方は毎回流さないで、蓋をしたら臭くないから」というのは、戦中の我慢生活を経てきたおばあちゃんにだけ通じる話しで、孫達は目をむいていました。困惑の二.三日。やっと水が正常に戻って、水洗からサ―ッと水の流れる大きな音が聞えた時の嬉しさ、あの聞きなれた音は、どの音楽よりも心の癒される音でした。物は無くなってこそ有り難さが解る。「何時までもあると思うな親と金」の諺に「電気」も付け足さねばなりません。
数日後、「この度、我々はアメリカに十憶ドルもの損害を与えたが、自分等が使ったのはたったの七千ドルだった」という、アルカイダ組織からの犯行声明がありました。遅すぎる犯行声明と、ブッシュの早過ぎるテロ否定声明と、どっちの信憑性を重んじるかは、各自の勝手です。
後日、数日に亙ったこの、6萬1800メガワットの大停電の報道があり、全国で5000萬人、ミシガン州だけでも200万人が被害を蒙ったとありました。又、家に帰れなくて、ホテルに泊まろうにも、安全の保障が出来ないからと拒絶されて、止む無く路上でごろ寝するニューヨーク市民、マンハッタンの長い鉄橋を、遠い我が家目指して黙々と歩く人達、電気が付いたら一番にガソリンを入れられるようにと、夜もガソリンスタンドに置かれっぱなしの車の、長蛇の列、止ってしまったエレベーターの中に、十八時間も閉じ込められた中年婦人、等など、市民の困惑振りが報道されていました。確かにこの大停電は、アメリカに大きな損害を与えましたが、その反面では、今回の停電期間中、カナダ、ニューヨーク、ミシガンなどの広範囲に起こったにもかかわらず、全区域に渡って(ニュヨーク、デトロイトのスラム街にですら)一件の暴動も起こらず、却ってお互いに助け合う美談が幾つも生まれていた。とも言っていました。テレビには、自動発電のある店の前に集った民衆が、持ち前のユーモァを発揮して、楽しそうにギターを弾き、ダンスを始めている光景も有りました。白人、黒人、中東の人、アジヤ人、突然襲い掛かった大災難の前には、種族、貧富、文化の隔たりはなく、皆一団となってこの大災難にめげずに、笑って過そう。そう言ったメッセージが私には受け止められ、それは胸に染みる美しい光景でした。犯罪都市として有名なデトロイト市の黒人市長は、「大停電中、デトロイト市での犯罪記録はゼロであった事を誇らしく思う」と、テレビで言っていましたが、1965年と1977年にもこれに似た大停電があり、当時のニュヨークでは大暴動が起こっていたのでした。
この大停電によって、アメリカの一般民衆の、一旦緩急の場合に対しての態度の良さ、引いては文化水準が高められていた事が、期せずして世に示されたこと、そして更に、これが自分達の日頃の不備、(送電網の老朽?)などが改善がされるきっかけになるのであれば、この停電はアメリカにとって損ばかりでもなかったでしよう。
そして、旅行者にとっても―――。何はともあれ、旅行中の私達まで停電の不便に撒きこまれるのは、二度とご免ですから。 二〇〇三年九月八日

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